農業の重要性について

農業は、先進(工業)国では、高賃金のため「経営」生産性が悪く、一般的に軽んじられており、
最低限の投資範囲内で、食糧危機管理の面から必要とされる水準内での生存を認められている事が多い。
その結果、高生産性を要求され、いきおい自然条件等の影響を最小限にとどめるように工夫された工業型農業が推進される
具体的には①施設栽培、水耕栽培等による温度・日照時間・雨量の管理、
②FI種による生育標準化と病害虫対応力の強化が図られ、
③栽培のマニュアル化、自動化が推進される。
いわゆる一次産業の二次産業化が推進されている。
(注)経済は国家レベルで、経営はミクロの企業体レベルのものとして、経済と経営を使い分けています。

しかし、ここに大きな問題がある。
それは、1次産業全体について共通する重要な要素を切り捨ててしまう傾向を持っている。

1次産業とは、農業(牧畜業を含む)をはじめ、林業、水産業いずれもが共通して「生命」を扱う事業である
これらの事業において、常に考慮しなければいけない要因が、「生命」とそれを支える「環境」の存在である。
工業的農業においては、第一義的に高利益率を求める関係上、多収穫・省労働力・品質の安定性が求められる。産業のグローバル化が、進展する中で、冷凍技術の進展もあり、今後ますます世界的規模での価格競争の渦に巻きこまれることになる。
その結果、生命体にとって重要な①「生命」の尊厳と②種の多様性が、切り捨てられることになる

高度に進む都市型社会では、よほどの高級店でもない限り、生命体のままで食材が提供される(生け造り)ことはめずらしい。それは、宅配対象の高級販売形態においても、野菜を冷凍化して提供する、もしくは半調理のパックで提供して行く方向に進んでいる状況からも見て取れる。

実は、このことが、生命の尊厳を自ら希薄化させてゆく動きでありそれは、自己の生命体としての必須要件である再生産(子孫を作り繁栄させる)という重大使命を忘れせしめる危険性をもっている
(昨今、食育の必要性がクローズアップされているが、その食育の中で「いのちを頂く」ことを最優先テーマとして挙げていることからも解る。)
いのちから切り離された状況では、スーパーに来店した主婦が、パックの中の100g300円の肉が、実は過酷な住環境の中でホルモン剤を多用され早くして廃牛となった乳牛の肉の断片であるとは、思えないのである。
きれいで調理しやすい野菜を安価に得るために、アブラムシを農薬散布で殺すこと、除草剤で雑草を根絶やしにしていること、すなわち虫や微生物の無差別殺戮を招いていることを都市住民は理解できないのである。
害虫や雑草が、クジラやシカのように保護の対象として叫ばれないのは、アブラムシや雑草、微生物は、彼らと違い、目にふれない、もしくは遺棄すべき汚いものと思えるからである。
しかし、土の中には100万に及ぶ微生物が頑張ってくれている。彼らのおかげで炭素循環がなされている。なお炭素循環とは、我々が「知っている」自然の働きの一つでしかなく、我々の知らない働きが実は無尽蔵にあるということを謙虚に認識しておかなければならない。

人生では、見えないものにこそ、心を注がなければならない。

「人が生きるということは必然的に他者を殺している」という冷厳なる事実を、「殺すということを」他者の手に委ねることにより、都市の消費者は、自らの生命が他者の犠牲の上に成り立っていることを忘れてしまっている。

このことは、我々人類に、二重の衰退を招いている。
一つは、一次産業という生産の場において、FI種、遺伝子組み換えに代表される、種の多様性の喪失。
環境破壊の現状である。そして形ばかり整って栄養価の低く味の劣化した食材の蔓延により、工業型サプリメントの増大と野菜消費の減少を招いている。
(これが、最近急激に増加している大腸がんや多くの新型難病の主因ではないかと私は疑っている。)
二つ目は、消費の場において、上記の裏返しとして、過剰な調味料の使用、おいしくないものに対して安易に行われる「廃棄」という、消費者の生命の尊厳を忘れた行為を招いている。
(素材を知り、素材の旨味に合わせて調理することを忘れた人が多く残念である。)

更に、この事象は、人間心理に深く影響し
経営生産性を最重視することから生まれる、個人価値の棄損。
 個人の多様性が認められれない教育により、個人の尊厳も切り捨てられて行く。
 (教育は料理以上に、多様性を尊重しなければならないのだが、子供たちの個性が切り捨てられて大人になって行くのが残念でならない。)
②これは、また社会にも波及し、東京一か所への集中(ワンパターン化)と地方の衰退を招き、地方の衰退、地方文化の消滅・絆の断絶を招き、日本のような災害多発国での社会的安全度を棄損して行くこととなる
(京都、大阪、福岡、横浜、熊本にいたるまで、駅前はみな同じミニ東京化しつつある。これでは地方再生はできない。東京がこけると、全日本がこけるのである。)

これらの事態に対して、「本来の農業」に立ち返ることが、今の日本に最も求められていることである。
農業者が、地域固有の気候に合わせて、固定種を育成・適応させ、循環型生命の存続に寄与することで
安全でおいしい食材をつくり、自立・自営農家の仲間を作っていくことが、地方の山・川を守り、固有の文化と地域社会の絆を守ることとなり、ひいては、下流の都市・海をまもることができるのである。

農山村は、生命の尊厳と種の多様性を最も認識できる場であり、効率性の概念にむしばまれた都市型社会を、本来の生命尊厳の場に復元して行く切り札となるべきものとして求められている。
その切り札が生命の尊厳と種の多様性を重んじる「自然栽培」型の農業である。